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2011.06.11 墨書
本日は雨予報だったので、起き抜けローラー30分。約400キロカロリー消費。
ふーっ。

お昼から小牧山にある小牧市歴史館へ。

iphone 053


小牧山は織田信長が美濃攻めへの利便性のため、1563年より4年の間本城とした。
信長が稲葉山城に移って後は廃城となり、小牧長久手の戦いのときに家康・信雄軍の本陣が敷かれる。

ここでおもしろいのが信長はこの城を単なる純粋な軍事的前線基地とせず、城下町ごと清洲より持ってきたこと。
現代の感覚でいうとちょっとおおげさかもしれないが、東京23区をまるまる那須御用邸あたりに移転させる感じか。
相当な抵抗があったことだろうが、30歳にしてこれを成したのは信長の凄みのひとつであると思う。

うんちくが長くなったがなんで行ったのかというと、こんな記事を見かけたから。

信長の人心掌握術示す墨書、城郭石材に…最古

石垣の一部にたしかに佐久間と墨書されていた。
あまり上手いとは思えない。というより走り書きで。

記事には人身掌握術という風に書かれているが、どうも実情は石泥棒対策のためにかかれたように思う。
つまり佐久間組が受け持った場所があり、同じように他の武将も受け持った場所がある。
受け持った場所については、材料、人夫その他一切合財調達しなければならない。
特に石垣の石は貴重であるため、他の組から盗まれたりすることがある。
その対策のために墨書、もしくは刻印をほどこしたりする。
これは後世の大坂城築城や名古屋城築城時に見られる風だが、小牧山城のそれは最古といえるのではないだろうか。

また、盗石対策までするということは、配下の武将同士に各セクションの工事の早さを競わせていたためとも思える。
これは非常に合理的なことであり、小牧山城の築城の風が秀吉、清正らに受け継がれ日本に残る巨大城郭の礎になったともいえなくはない。

同時代人であれば自分はおそらく信長のことを大嫌いな人間であっただろうが、後世の人間として信長が築城した城を見るのは非常な楽しみであったりする。
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